つくばから東京は代田橋に引っ越しすることになった。ここで初めて引っ越し業者にお願いすることになった。時期は5月くらいで引っ越しの繁忙期ではなく安く抑えられそうだったことと、このときは頼める友人がいなかったからである。引っ越し料金はうる覚えだが、10万くらいだったように思う。結構値切った記憶はある。
代田橋のアパートは木造2階建てで入り口は1階にあるのだが、玄関からすぐ内階段で2階へ上がり扉を開けると部屋があるという構成だった。25平米程度の1Kで家賃は管理費込みで8万円。正直生活できるか不安だったが、仕事するわけだしまぁなんとかなるかとこの頃は思っていた。この部屋の良かったところは、キッチンにも風呂にもトイレにも窓がついていて光や風が多く入ってくることだった。仕事を始めてわかったが、深夜に帰ってきてそのまま寝て起きて朝に、照明をつけることなく外光だけで入浴して落ち着けることは良かった。というかこの家では風呂が一番落ち着ける場所だった気がする。
引っ越して3日後くらいに仕事を始めたので、荷物もぐちゃぐちゃの状態だった。仕事はというと激務だった。裁量労働制だったのでやることやれば帰っていいのだが、そんなことはなく初日は11時出社の退勤26時だった。でもそれがアトリエ事務所の普通の働き方だと当時は思っていたし(その上で面接も受けた)、働いている方が色んなスキルものびるという考え方でいたのでそこまで苦痛ではなかった。一緒に働いている人も同じような考え方の人が多かった気がするのでわりと楽しくやっていた。
土日は基本休むことができたが、家にいても暇なので出社してレンダリングして完成するまでの時間に下北沢のトロワ・シャンブルという喫茶店でゆっくり過ごして読書をするということを毎週のようにやっていた。トロワ・シャンブルは今でも存在すると思うのだが、当時は副流煙で視界がぼんやりするくらいであった。珈琲はすごく美味かった。
休日に出社しない日は、代田橋の来夢来人(ライムライト)という喫茶店に入り浸っていることが多かった。あとはたまにその近くのしゃけ小島というめちゃくちゃ美味いしゃけ定食を提供してくれる店にも行っていた。
そんなこんなで代田橋での暮らしは、すぐ近くの職場と家の往復とたまにこれまた近くの喫茶店に行く、という活動範囲が局所的なものであった。仕事は10ヶ月ほどで体力的にも精神的にも限界が来たので辞めた。貯金もほとんどなかったのですぐに次の仕事を探し、かなり大きい設計事務所(いわゆるスーパーゼネコン)で働くことになったのだが、そこも数ヶ月で辞めた。理由は前職に比べてホワイトすぎて、18時前に退勤したあとに何をすればいいのかわからず膨大な不安に日々襲われメンタルをやられてしまったのだ。身体に根付いてしまったものを短期間で取り除くことなどできなかった。
そこからは一旦自分のペースで転職活動をしつつ、先輩や友人からの建築関連の仕事をもらって何とか食い繋いでいた。で、このタイミングでマッチングアプリに登録した。そして次の仕事も決まっていないのに彼女ができた。しばらくして仕事は決まったのではあるが、実家住まいの彼女は同棲を夢見ている人だった。代田橋のアパートに2人で住むことはできなくもなかったが、お金が貯まったら2人で住めるもう少し広めの部屋を探そうという結論に至った。
ときは流れ、代田橋の家に住み始めて3年くらい経った頃だろうか、2人で住む次の家が見つかったので引っ越しをすることになった。私はこの頃には個人事業主として自分で仕事(PC1台あればできる業務)をするようになっていたので、住む場所にこだわりはなかったが、自然が多いといいなと思っていた。で、次の家は大田区の久が原にあるアパートに決めた。では、また次回に。