引っ越し 大垣〜実家編

 大垣から大阪の実家に引っ越した。2024年の3月末である。大垣での仕事を辞めても大垣に居続けるという選択肢もあったが仕事が見つかるかなどの不安もあったことと、家庭の事情もあり実家に戻った。
 実家に住むということは13年ぶりであった。ただ、自分の部屋は残っており、そこに住まわせてもらうことにした。屋根裏部屋で軒先の方に向かうと余裕で頭を打つ空間構成だったが、昔からそうなので慣れてはいた、が頭はよく打った。
 4月からはハローワークによく行っていたと思う。失業手当をもらう手続きや仕事を探すために。あとは早朝に長居公園や大阪城公園などで旧友とランニングをしていたと思う。実家には一時的に住まわせてもらうと決めていたので(当時家族と関係もあまりよくなかったので)、次の家をはやく借りたかった。そのためには一定の収入が必要なので仕事を見つける必要があった。
 5月に転職サイトに登録した。後に気づくが転職サイトに登録して仕事を見つけるという方法が自分には合っていなかったのかもしれない。転職エージェントからは「とにかく興味がなくてもお持ちのスキルを活かせそうな職場にはどんどんエントリーしてください」と。それに従ってたくさんエントリーするものの書類で落ちまくる。書類を通過して一次面接をしましょうとなったのは3社くらいだった記憶がある。ちなみにエントリー数は100社くらい。あぁ自分はこんなもんなのかと落ち込みつつ、正社員になってしまっていいのか!?とも考えていた。というのは制作活動は必ず続けたかったので日々働くようになってしまっては業務で忙殺されてしまうのが怖いなと思っていた。
 そういうこともあり転職サイトで仕事を探すことはやめて、親身になってくれていたハローワークの人に相談しつつ、自分に合う働き方ができる職場を探すようになった。そんなこんなで8月にようやく仕事が見つかった。そして次の住処を探すのである。大阪で実家以外の住まいを探すということは不思議な感覚だった。
 大阪の中でも比較的自然が多い場所に住みたいと考え、色々探した結果、南千里に住むことにした。公園が多く、気持ちよく散歩ができるなと。というわけで実家の大阪市から吹田市の南千里へと引っ越すことが決まったのである。このときの引っ越しは父がかなり手伝ってくれた。軽トラを出してくれて荷物を運んでくれた。一時的な実家での生活では父との雰囲気はよくはなかったが、こうやって送り出してくれたことは本当にありがたいことであった。真夏の引っ越しだったのでとにかく暑かった。